true tears~網とそれをつくる線と点~

少し時間を見つけたので、true tearsを見直していたりなどしました。とても好きな作品の一つです。
パッと見た特徴として、ロングショット(俯瞰)とアップショットや上下の視点、ナチュラルなスピードの仕草などが挙げられるかと思います。BGMも私は気付けば盛り上がるところだったりと、BGMはナチュラルなものではないのに(生音ではないという意味で)、それすらもナチュラに感じてしまいました。

ロングショットとアップショット

眞一郎はモノローグが多いが、比呂美は少なく、その他の登場人物に至っては無い。つまり、乃絵の言うように「話さなきゃ分からない」のである。見ることも必要であるが、必要以上の真心を込めて見てしまうと、そこにあるものは内実の姿を表さない。
そこでショットの差が私たち視聴者に「これは何を写しているか」という問いを投げかけてくれるのである。これは私の印象になってしまうのですが、ロングショットは全体が見えるため、客観的な視線の中でも寂寞以上に区別なく同等にそこにあるものを写しているように感じる。加えて、俯瞰によって視聴者はしっかりと人間関係を上から眺めることが出来るのだ。
そういった冷静な観察の視点と対をなすのがまっすぐ見つめるアップショットである。このとき、同じ目線で直視させられるため、上から見ていたものと対峙せざるを得ない。はっきりと状況や他者を読み取った上で応答・選択をしなければならない。眺める視点が多いことで、このときに立ち現れるそれまでとの差は圧倒的なものとなります。

ナチュラルな仕草

もう一つ冷静な作品だと思わせるのは、赤面以外*1では変形・誇張表現が殆ど無いことや、歩く動作なども人間を超えるスピードの動作はありません*2誰もが誰も平等に存在し関係を築いているのです。
そんな中で、またここでも対をなすモノについてになりますが、それは水彩のように淡く、それでもその瞬間を見た者に強烈な印象をもたらしたはずの止め絵である。ここまでナチュラリズムであったものの中にリアリズムが持ち込まれるのである*3。私は、感情や状況に合わせた天気や音楽以上の効果を感じました。
もう一つ印象に残るシーンといえば、眞一郎が自らの気持ちに整理をつけて、引越しをする比呂美が乗ったトラックを自転車で追いかけるシーンです。ここは自転車の動きや比呂美が眞一郎に飛びつくシーンのアニメーションがナチュラルから離れて大変面白いです。

あわいの空間

関係の間の部分、それは廊下だったり固定されないユラユラ動くところ。個人的にはドラマチックな場所でドキドキするシーンが多かったです。

脚本構成

起承転結、ヒロインは会話と内言の有無・各々が共有してるもの・役割から妥当、主人公の語り手が物語内でも語る(本の制作)・選択をするという点から見ても、セオリーに忠実と言えそう。そしてそれがあるからキャラクターに印象的な言葉を与える(元を辿れば会話がキー)。岡田さんは素晴らしい脚本構成であると。

おまけ

あぁ、もし「のえがすきだ」って乃絵に自らの手袋を差し出させずに書けてたら!!!って思っちゃいますが、乃絵は魔法使い、いわゆる幇助者なんですよね。それに、雷轟丸とじべたの物語の最後は自分で考えるんだから。
蛇足ですが、もし”2話からスタートしてたらな”って思うこともございます。えぇ。

*1:あとは4話の眞一郎と石動兄との会話くらい

*2:そのため、何をしているかが分かったところでカットがしっかり分けられている

*3:舞台における使い分けと同じように扱ってます。