あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。3話〜台詞と虚実〜

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。の3話がとても面白かった。
過去と現在、そして未来へ。見えているものの差異。

脚本:岡田磨里 絵コンテ:森田宏幸 演出:吉村愛 
作画監督:荒木弥緒 緒方美枝子

時制と台詞

じんたんはその発話直後に回想へいかずとも(ちょっと後ではいくが)モノローグ/ボイスオーバー。彼以外はない。
ノローグはその機能から過去と結びつきやすく*1、ここまで画面にハッキリと等価に映し出されているめんまは過去の子どもの姿であり、じんたんの"幻想"のように曖昧なので非常にマッチしてるのではないかと思われます。


対置するものとして口から発せられる台詞と現在。基本的に現在においては長かろうが口から発せられる。*2口から発せられるということは、その世界において存在は確かにするものなのだ。
この回では蝋燭を並べるつるこにあなるが語るシーンが印象的ではあるが、子どもめんまも必ず口から発していることも見逃せない。子どもめんまは視聴者とじんたんにしか見えていない。だが、しっかりと存在していることになる。この矛盾した状況が切なさを生むのだろう。
キャラクターの絵柄で差異を見せない代わりにここがある。では、それが確固たるものとして皆に認識され、結びついていく媒介になっていったら、というのが素直なラストでしょうか。


「あの花を 実写化するなら イーストウッド*3

めんまとお外

めんまが一人でお留守番をすることになって、部屋を出たときのカメラは仰角で魚眼一人で自由に行動出来る解放の仰角に、普段と違う光景の魚眼。そして、めんまの見た目に沿って動いていく。

もう一つはぽっぽが「めんまを探そうの会」のチラシを渡した後のシーン。ぽっぽが行ってしまったその場所にめんまがいるのである。
同じ位置に別の人物、しかも探索対象の人物がいることで分かりやすく変化の驚きを見せる面白さもあると思うが、そのまま玄関にいてカメラを振って驚きを見せることも出来たはずだ。しかし、めんまを外に出すほうを選んだのだ。
冒頭に出現しBBQでもゆきあつが見たという(大人)めんまも外にいた事、じんたんも制服を着て外に出た事、みんなが屋外でBBQをした事と呼応するだろうか。

おまけ

被っていたけど、緋弾のアリア3話も面白かった。
主人公の位置が変わる過程と出来事(事件やぬいぐるみを渡す)、銃弾の関係と見所満載。我らが島津さんである。

*1:心情の外化や説明の簡便さ、ナレーションのことなど

*2:長い心情吐露も語らせるのは脚本家である岡田磨里さんの特徴として言われてるような気もしますが、よく機能しているのではないかと思われます。

*3:グラン・トリノやヒア・アフターとか。