マームとジプシー『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。』

1つのもので感想を書き留めるのは久しぶり。
でも、今、感じていること・考えていることをどうしても残しておきたい作品でした。劇場で作り【A】【B】【C】とシリーズで行う、してやられたような企画公演である。


この劇団は3年くらいずっと見ていて、そのたびに感想を書いていたのだが、昨年あたりから私がどうにも動けない時期と公演期間が被ることが多くて、抜けが目立ってきている。
今回は『あ、ストレンジャー』の吉祥寺公演以来。といっても2ヶ月前なので近々である。


それでも、いつも観るたびに新しい観劇体験をさせてくれる。耳がいつも新しいものを聞いているという感覚だ。
作家本人はtwitterで以下のように語っている。


この傾向は『塩ふる世界。』からより顕著になり、『LEM-on/RE:mum-ON!!』で1つの完成型を見せ、『あ、ストレンジャー』の再演ではそれが演劇の中に強く組み込まれるようになったと感じている。
それは音楽が説明的なBGMやSEとは異なり、その世界にある1つの存在として機能しているというものである。
『あ、ストレンジャー』でもSEではない音楽でシーンを見せて(説明して)しまうことに驚いたし、楽譜があるんじゃないか、あるとしたらそれが欲しいとさえ思った。


そこで、今作においていくつか耳の記憶に残ったことを記していく。

  • 1つ目は使われた音で、森の中の環境音とラスト付近のピアノ曲である。この2つは私の観劇の中では使われた記憶がない。
  • 2つ目は音量レベルである。ここで「音」とするのはスピーカーから流れる音である。かすかに聞こえる「音」、大きくなる「音」に同調して大きくなる声だ。
    • 前者は劇の始点(と終点)にも効果的で、視覚(照明)によって劇の始まり(と終わり)を告げられるが、音自体は大きな途切れがない。これは大きなメッセージだろう。
    • 後者はまさに演奏というべきものである。チューニングが整っていて適切に鳴らせばうるさくならない。これはよくバンドなんかで言われることだ。これまでは音楽アルバムのようだ・ロックバンドみたいだという印象が強かったが、【A】の整い方には素晴らしいものがあり、もう少し上品なアンサンブルのように聞こえた。


聞いて楽しい演劇公演というのは滅多にない。聞いて楽しいというのは、音としてであり、ネタ・ストーリー・セリフ・言い回し等が面白いというわけではない。
音楽の上に、声を・言葉を乗せることについて、一度どこかで詳しく語ってほしいなぁなどと思ったりしている。


上の感想は、ほぼ【A】を観た後の衝撃によるものである。
【B】は中継ぎとして非常に難しい役割だったように感じる。波佐谷さんがテニスボール?を壁に当てて、跳ね返ったボールを捕らえ、一度床にバウンドさせてからまた壁に当てるというシークエンスの繰り返しが好きでした。



そういった音に関することから、この作品は舞台芸術・演劇においてジャンルを崩してしまうものであったと言えようが、多分、そういうことを念頭においているわけではないだろう*1
自らが作るものを作るという姿勢の中でこういう作品が生まれてくることは、長期にわたり劇場で作品制作を行うこの企画において非常に幸せなことなのでは無いだろうか。



岸田賞に今日マチ子さんとの企画、海外公演など、もう信頼は勝ち得ていると思うが、間違いなくすすめられる劇団である。まだ予約できるのは奇跡なので、本当に観て欲しい。そして観た人と話したい。

*1:ライブのように気軽に観に来れるような、というような言い方をする演劇・ダンス人は何人も見たが、媒体・文化・歴史・嗜む人口の違うところで簡単に成し遂げられるものではない。