マームとジプシー『LEM-on/RE:mum-ON!!』@元・立誠小学校(京都)

原案 梶井基次郎/作・演出 藤田貴大


MUMROCK FESTIVAL。(藤ROCKではないのは、出演者スタッフに敬意を込めて)
学校内を移動し同時多発的にイベントが起こる、フェスティバル感に溢れた公演。
マームとジプシーは一昨年からになってしまうけれど追っていて、ミクニヤナイハラプロジェクトも追っていて、岸田戯曲賞で何か書こうかなと思っておりましたが、別のところでそれは晴らせたので、習慣になりつつある感想まとめ。
公演詳細はこちら→http://mum-gypsy.com/next/32011.php

(1)言葉と身振り

前々回の『塩ふる世界。』では言葉が空間に染みていく様子が、前回の『Kと真夜中のほとりで』では過去を語ることから浮かび上がるモノが見えた。


今回の『LEM-on/RE:mum-ON!!』では、言葉と身振りが、見たことのない結びつき方をしていた。
身振りを、言葉として認識できた印象を受けたのである。台詞内容と身振り、音楽と身振りの合致にはハッキリとシーンごとに差があることや*1、総体としてや良し悪しは別の話だが、繰り返しを除くとテキスト量が多くなかったこともあるだろう。


例えば、こうした言葉と身振りの関係においては、国内で特徴的なところだと、身振りや動きではミクニヤナイハラプロジェクトやチェルフィッチュ、脚本からダンスを起こす冨士山アネットなどが挙げられるだろうが、これらとは全く異なる印象を受け、今回の公演形態とも相まり、舞台公演のこの先を見たような印象を受けた。
本当に、ジャンルとか、どうでもよくなるほどに。

(2)過去を語る身体

尾野島さん*2が直接台詞で言っているのだが、過去や別のものを語る今の自分の身体のありようはどこにあるのか、それが過去が蓄積した空間で行われたということが面白い。
また、K(『Kと真夜中のほとりで』)など過去のマームとジプシーの作品とリンクする部分もあり、劇団としての蓄積と場所の蓄積の出会いとも言えるものもあった。

(3)時間における空間の変容

予想以上にマチソワで全く異なる様相が見られた。マチネは全体見通せ、身体も見えやすい。一方、ソワレは照明が印象的になり、集中度や興奮度が高まる。最終日の雨風はどうなったのか、とても知りたい。
また、学校内の各地ではイベント時ではなくとも役者が各所に配置されおり、動いたり喋ったりすることもある。
そこで、何より印象的だったのはイベントが終わった部屋だった。照明は消されずに人間だけがいなくなる部屋や、最後の案内が来るまで役者が動きを繰り返している部屋もあった。

(4)その他

最初と最後の部屋である職員室にはひな壇の客席はあったが、リノやパンチなどが敷かれておらず、役者が既にその部屋にいるということなどから地続きな印象を受け、(2)のような身体が現前してくると不思議な気持ちになった。
フィクションとノンフィクション、現在と過去、参加と非参加の境界線が俄然曖昧になるのだ。次に書かれる物語、そして、そこにあらわれる役者の身体がどのようになるのか、次回作は場所がこれまでと大きく変わるだけに注目せざるを得ない。


パンフの各シーンに記名されていない役者も、同じ部屋内にいたり(3)で挙げたような状況などあるため、同じ空間内にいることがはっきりと分かる。校内各所に配置されたスピーカーや、響き渡る声による同空間性もある。シーンをしっかり見たり、テキストを聞き取るためにはやや不向きかもしれないが、廊下に佇みながら感じ取ることも1つの楽しみではあった。
役者の各々の動き、特に職員室での動きは、リズム隊とフロントマンにも喩えられそうで、楽譜に記載されているのでは、とも感じた。


観客の中には関東での公演で見た方々もおり、こうした移動というのは、今後、小劇場においても重要なことなのかもしれない。

*1:『塩ふる世界。』や『Kと真夜中のほとりで』をご覧になっていると分かると思うが、日常的動作をやや抽象的にしたもの・リズムに合わせたステップなど。

*2:声が枯れていた。