ロロ『LOVE02』@アゴラ劇場

これは傑作だと思いました。
私はまだ数度目で、それまではあまり強い印象がなかったのですが、今回はもう圧倒されました。
公演情報→http://llo88oll.com/next.html

可視/不可視とフィクション、ファンタジー

目の前にあるものは「ある」のである。トートロジーだが、特に舞台上に置いて、その現前性と虚構性を扱いはキモになる部分の1つである。
物語上で見えるものと舞台上で見えるもの。
「これは○○だ」といえばそうなるイリュージョンや、物語上で見えていなければ、舞台上で見えていようが、見えないように扱うお約束*1
この『LOVE02』は、それが渾然一体となり、また、それらやシーンが地続きとなっていた。そして、それによって終盤においてカタルシスとも言うべき感動をもたらしてくれた。


そこで例を幾つか挙げておきたい。これらはある種の異化効果と言えよう。
まずは言葉に関するものである。

1.名前
登場人物の名前はアイコや浩司、鉄など人名として耳に馴染むもの、ハルオにエリィなどこちらも人名と分かるものもあるのだが、八月(はちがつ)、自転車(じてんしゃ)、十六(シックスティーン)など特殊な名前の持ち主が出てくる。
これはいくつかのレビューを拝見したところ、多くの作品で共通しているらしい。


2. 擬音
冒頭の「ガチャッ」というドアを開ける音などを発声するのだ。今作ではほとんど聞かれなかったが、以前は涙を流す音を「だばぁ〜〜〜〜」と表すなど多く聞かれた。
漫画でいう漫符的な表現なのではないか、作り物たらしめることと、内世界を豊かにする、そういう働きがあるのではないかと思う。

次に、舞台美術に関することである。

1.光る人間
人間は光らない。(光ったら多分、研究施設に送られている。)では、どうするか。上で述べたように、言葉で「光ってるね。」というだけでも、そうなることにはなるであろう。
しかし、ここではそういうことは行われない。不恰好でも電球を身につけ、コードを垂らす。もちろん実際に光ることによる見た目上の面白さもあるだろう。だが、登場人物たちの認識の問題においてのことだろうと思う。そうでなければ、ストーリー上のその先の発展はないからだ。


2.その他の舞台美術
電球に関しては裸電球が使われており、ハルヲも尻から剣(エクスカリバーだ!)を引き出すが、ダンボールである。それに加え、上述した言葉や、またマネーの虎を模したシーンなど、そういった軽さがある。
だが、決してチープではないのだ。特にラストに登場する電球の装置群は見ごたえがある。骨組みが見えているその装置などは、繰り返しになるが、舞台上に見えているものを強く意識させてくれる。見事な舞台美術であった。
紙飛行機もシームレスな舞台を強く意識させてくれた。

物を使うという制限や言葉によって規定されるイメージの、逆にその広がりがあるがファンタジックに寄りかからない。それが目の前で繰り広げられていることに感動を覚えざるを得なかった。

おまけ

思い切り振り切るようなシーンとか、かなり良かった。
誰かといっしょに見たかったなぁと思ってたけど、会場の雰囲気とかトークの感じとか共有した感じでうれしい感じ。


まりあ†ほりっくのEDであるところの「君に、胸キュン。」の選曲は、鉄と十六の関係とかちょっと想像したりしちゃうので、グッときてしまった。

*1:例とすれば、傍白・転換作業