チェルフィッチュ『三月の5日間』@KAAT

私のチェルフィッチュ初観劇はフリータイムで、その後は大体の公演は見て、でも、この『三月の5日間』はDVDでしか見たことがなかったので、今回の期待値は高かった。
で、じっさいすごかった。過去の映像で見たものとの比較はできないので、今回の印象を簡単にまとめておくことにします。
熊本公演のPVには他のもチラッと入っていたので、参考までにそちらを貼りつけておきます。

演劇が立ち現れてくること

ここでは、演じる人間のスイッチは目立つほど頻繁に起こらないが、「誰が、何を」語るのかといったような揺れがある。
三月の5日間に起こったことを、ファミレスという設定で、また観客向けて叙事していくわけだが、叙事者とその対象者がそういった揺れの中に存在しているために、ただ直線的に、また、遠近法的に語らない。


その視線の多重化によって生じる複眼的内世界は、遠近法的な舞台上において、役者の配置や舞台に設置された壁と照明によって対象化される。
役者(叙事している役者ではない)の視線と観客の視線の動きに対する、舞台の大きさを規定する一枚の壁*1やサス*2、そしてコロガシ*3によって壁に映る複数の影などである。


羅列される三月の5日間に起こったことのシーンや台詞と身振りがそこに加わることで、今、ここで叙事されているものは何か、つまり「舞台上に立ち上がってくるモノは何か」という問いが明白になっていくのである。
それによって、ラストの、そのまま演じられたワンシーンの演劇っぽさと生っぽさの、これが演劇であるのかを、激しく揺さぶることになるのである。

三月の5日間

三月の5日間

*1:舞台の中央に設置されている

*2:バトンなどに吊られている照明

*3:舞台のヘリ等に置かれている照明