The Show must Go on @さいたま芸術劇場 11/12

ジェローム・ベルがまた来た。昨年のは逃してしまったので3年も経ってしまった。08年の横浜トリエンナーレは本当によかった(参考レビュー)。
行くしかない。
世界各地で上演された作品だ。知り合いも出演している。
行くしかない。
ということで、ほぼひと月ぶりの休日にさいたままで足を運びました。
紹介映像を先に。

シンプル故に非常に強固で、全てを見せる構造。世界中で上演される・上演することが出来る理由が理解できる。

全てを見せる

舞台は照明・音響・機構は使うけれど、いわゆる素舞台で、照明・音響ブースが最前席の前にある。そこにはCDアルバムが高く積まれている。その一枚の一曲で1シークエンスという構成。
音楽が始まり、よきところでタイトルの字幕出て、それに合わせた舞台上の出来事。これはダジャレの領域。有名な曲であるし、タイトルが親切に表示されるので、何が起きているかを把握することは容易い。*1
このヴァリエーションだけで出来ているのだ。


例えば人が「イエローサブマリン」の音楽と共に舞台下に沈んでいった後の「バラ色の日々」のシーンだが、それによって何も無い舞台上で何かが行われている姿を想像したり、何もなさに想いを馳せたり、次に誰かが登場するのを期待せざるをえない観客が生じることになる。
また、その差異として、出演者がイヤホンやヘッドホンで各々の音楽を聞いて、決まったワンフレーズが来た時だけ発声するというシーンや、観客を眺め回すシーンも同様に考えてよい。


何も無いがゆえに全て見えるという、当たり前といったら当たり前のこと。つまり、そこでは何を見ているかが問われるのである。
ダンスか?ダンスではないか?そんなの関係ないか?
いろいろな人がその人のことをいろいろやっていて、そういうのがひとつの舞台上にいる、というのはとてもハッピーなことです。

おまけ

アフタートークで分かったのだが、けっこう目立っていたおばさんが通訳の方だった。これがエッセンス思う。
他の出演者は小劇場でよく見る方もけっこういて、役者だとこういう使われ方はどう感じるのかなーとか思ったり。

*1:有名な曲がかかる理由もすぐに分かるだろうし、それはその土地々々で対応可能だし、実際やっている。