日常はすごい。〜映像のスラップスティック〜

日常は見てて面白いのですが「すごい」って言う方がしっくり来てしまう。外す面白さもそこにはあると思うのです。

スラップスティック

スラップスティックは、簡略化して流れをいうと無声映画で隆盛を極めたあとにトーキーに押されて、その後ヌーベルバーグあたりがその手法を取り込んで〜という流れがありまして、それは動きや見た目の滑稽さ*1を映像の編集に落し込み幻覚のようなものや狂気のようなものを見せるようになった、ということ*2
また、それは飛び抜けた表現になることがしばしばあり、それによって観客をハッとさせることで笑いを少しずらすということにもなります。つまり、そのナンセンスさやシュールさは暗くなりがちなネタもバカバカしく開放的に見せることになりますが、その一方で少し変わった可笑しみを生み出しているのです。


で、日常です、日常なんです。
一度でも見たことがある方はお分かりかと思いますが、いちいちすごい。そこにあるとおかしい物によるだけでなく、それが・それに関わる人物がどのように動くかについて非常に凝った・変わった描き方をしています。
その飛び抜けた表現がよく見えるのは会話においてなのですが、切り返しが単調にならないように様々なイメージ*3を挿入してきますし、カット割りや台詞のリズムは彼女らが動く姿と同調している。それは劇中世界とこちらを結ぶ働きまであり、姿を見せることを非常に凝らしています。
その飛び抜けた表現で可笑しみを出すが、しばしばあるややもするとひどく陰湿になりそうになるネタによって無邪気に笑うことができない状態をも引き起こす面白さ。*4

転換

原作も時間の流れはありますが、独立性の高い各エピソードの一つ一つを30分という枠の中で如何に見せるかが一つのポイントになります。一つを詳細にしたり新たに加えたりするか・一つを複数に分割するか・複数を一つにまとめるか、複数は複数のままにするかという事になりますが、日常は4つ目。
つまり、各エピソードの間に裂け目が生じることになります。このとき、ブラックアウトでフェードアウトさせたり次の回のタイトルをバンクを使って区切るのはよく見られますが、日常ではインサートカットのような短いカットを挿入させており、繋がるエピソードの間に別なエピソードを挿入させていることもしばしば見られます。また、そのカットは時間的経過が見られるものになっています。
インサートカットと言えばそのシークエンスで補足説明的なもので、日常では確かに物語の舞台となっている街を補足説明しているものもありますが、同時に上記したように区切りながら流れすら意識させる面白いものになっています。
で、これはモンタージュとも言えるかと思うのですが、各エピソード内で見られる非日常な物の繋がりやそのズレがエピソードごとの繋がりとズレにまで広がるので非常に面白い作りだと言えるでしょう。

*1:こういったタイプの笑いについてはベルクソンの「笑い」である程度網羅は出来るかと思います。

*2:展覧会中のヤン・シュヴァンクマイエルの「Byt」やこの前MXで特集していたトリュフォーの「ピアニストを撃て」とか。

*3:背景や漫符、デフォルメ等々

*4:こういったコメディの名作だと例として挙げた制度とかそこらへんにまで発展するものも。