ナイトレイドの写真〜編集と人間関係〜

アニメノチカラ第2弾の『閃光のナイトレイド』。「地味だ」と言われていたが、コアなファンも目に付く本作(私の観測範囲だけではないはず)。
確かに大変面白い作品であり、私は重要な小道具として写真がとても気になりました。

写真

写真は諜報活動するためのに必要なものであり、それは歴史を記録し、かつ基本的にはそのまま写しとったものである。そして、あったことを視覚的に共有できるものである。この共有ということが大きい。私は、この物語で重要だと思われるものは、この共有だと思っているからだ。
まず、登場人物の能力者はテレパシーができる。感覚器官を拡張し、それぞれの持つ情報を共有してミッションを遂行していく。
一方で共有していないものもある。それは仕事以外でのこと、普段の行動しかり(写真屋はあるが)それぞれの過去を含んだ思惑である。この錯綜っぷりは葵や葛のやりとりだけでなく、背後の組織も含めて必要以上のことを語らないことで実現している。これは、超能力があったとしても、変形のない人物描写をアオリ・俯瞰・イマジナリーラインをまたいだりといった様々なカメラワークで見せていることからも見て取ることが出来ると思う。
この複雑な人間関係によって物語が一層の深みを増していることに違いはないだろう。

編集

ここで、第5話の大変おもしろいインタビュー記事(http://ascii.jp/elem/000/000/557/557061/)から
「具体的に説明するセリフや回想シーンを入れず、西尾という人物の輪郭だけを浮かび上がらせてほしい」(1頁18〜20行)”や”象徴的なモチーフ(2頁2行)
という言葉を紹介しておきたい。ここから、ある特定のモノをイメージから規定していくという、イメージをとても大切に扱った作品だということが伝わってきます。
そこで、再び写真なのです。
写真は写して終わるものではない。被写体と撮影者や受取人の関係もある。特に技術面からだと現像、そしてこの物語では着色がある。
写し取られたイメージに情報を加えていくのである。これはどのような色であるのか、どの色で見せたらよいのか。ここには、カメラにはない人間の目が入り込むのだ。
これは4話(猫を追いかける回)が、葵と葛の対比を見せながら登場人物の関係を様々な面から見せ、今まで見えなかった一面まで見せてくれていた。

最終回の写真

そこから、上に挙げたことを受けて、人間関係が見えた後で、散り散りになった後でのあの"みんなが写ったコラージュ写真"はとてもグッときます。